吃音がある息子を育てています。
こんにちは、ひみのブログへ来てくださってありがとうございます! 今回は、「吃音」について書きます。
小難しいことはなしにして、引用やリンクは少なめに。吃音がある小3の息子を育てている私自身の経験から、吃音の当事者の方、そのご家族の方、学校の先生、そして吃音についてあまり知らない方に向けて、吃音とは何か~吃音がある人と接するときに心に留めてほしいことや、感動した出来事などをお伝えしたいと思います。
吃音とは
まず最初に、「吃音ってなに?」という人は少ないかとは思いますが、吃音とはこんなこと。
かんたんにいうと、「どもること」でしょうか。「どもること=吃音」と私はとらえています。
「どもり」という言葉は、吃音がある人に向けて発せられた時は、その人をからかったり小馬鹿にしたような差別的ニュアンスを伴うので、今は「吃音」という言葉が使われることが多いように思います。
「動詞」としては自分の家族内に限っては使っても問題ないかなと思っています。例えば、私は息子との会話で、「あれ?最近〇〇(息子の名前)ちゃん、どもってなくない?」とか、「明日授業参観でどもっちゃうの心配?」などと使っています。
家族を越えた範疇の人に、息子の話をするときには、「吃音がありまして」という言い方をしています。
息子が成長してきたら、徐々に息子と話すときにも「吃音」という言い方に自然に変わっていくのだと思います。
吃音とは、「ぼ・ぼ・ぼくね、今日ね…」ですとか、「お・お・お・おかーさん、あ・あ・明日はさ、…」などのように、音に詰まる、音を繰り返すなどの特徴を呈す発語のことです。
上記のたとえのように、音を繰り返す特徴がある人もいれば、最初の言葉が出にくい人もいれば、途中の音が伸びるタイプの人もいます。
息子は、上記タイプのミックスタイプで、その日、その時、その週などによって、最初の音を繰り返すことが目立つときもあれば、途中の音を伸ばすことが目立つな~と思う時もあり、色々です。
吃音の原因はなんだろう
息子は、保育園の年中さんくらいから吃音が出始めました。
4歳年上の姉も、同じ頃に吃音が出ましたが、小学校入学前くらいまでにはすっかり消えてしまっていたので、「息子もそのうち治るだろうな」(治るという言い方には違和感がありますが…)と思っていました。
ですが、私自身が小学生~中学生時代に軽い吃音があったので、もしかしたら長引くかもしれないなという気持ちもどこかにありました。(今ではすっかり吃音は消滅し、人前でも、誰が相手でも自由に話すことができています。)
吃音の原因は、諸説あるようですが、今だ解明されていないようです。
私の子ども時代には、「親の育て方に原因がある」という一説が主流だったようで、実際のところ、私の母はけっこうな怒りんぼさんでした。
すべての家庭がそうだったとは言いませんが、昭和40年代生まれの私の印象としては、体罰もアリ、今のように子どもの主体性に寄り添う教育というよりは、親が社会からあまり干渉されずに子どもを育て、時には有無を言わさず従わせることもあった時代だと思っています。
そんな母にたびたび理不尽に怒られていた私は(色々ありましたが、今では仲良しです)、吃音になった原因が「親のせい、あるかもね」と感じていました。
ですが、今、自分が親の立場になってみて、「それはないな」と感じています。
自分自身の子育てが「絶対的に正しい」とは言いませんが…。
むしろ、「遺伝はあるね、たぶんそこ大きいかも。」と思っています。
親御さんにもお子さんにも吃音があり、さらにその親御さんの親御さんにも吃音があるという人もいらっしゃいますし、私自身もそうです。
母も、怒りすぎるとき、たまにどもっていました。
「もう! ど・ど・どういうことなの!」などと言われると、怒られる~と思いながらも少し可笑しかったのを覚えています。(この場合、差別的な笑いではなく、恐怖心からの逃避の心理で可笑しく感じたのだと推測します。)
ですので、今、吃音のお子さんをお持ちの保護者の方へ伝えたいです。
あなたのせいじゃないですと。
子育てで、明らかに自分がうまくやれていない、たとえば度を越えた暴言、暴力やネグレクトが止められなくてつらいと感じられるのであれば、状況に応じてパートナーや友達、親、相談機関などにすぐに相談してほしいです。
そうでないのなら、お子さんの吃音はお母さんの育て方とは関係ないと思っていい。
自分を責めてみたり、落ち込んでみたところで、いいこと何もないんです。
「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」と言いますが、本当にそうです。
これからのことを、一緒に考えていきましょう。
吃音がある子どもと暮らすとき、心がけたこと
息子の前に、4歳年上の娘に吃音が出始めたとき、わたしは、いつも一緒に遊んでいるママ友にこうお願いしました。
「娘、吃音が出始めてるの。心配は心配なんだけど、今は何もしないで様子を見ようと思ってる。みんなと話すときに、もし吃音が出ても、自然にしててほしいんだ。察して言葉を先取りして言ったりもしてくれなくて大丈夫。ただ話終わるのを待ってくれたら嬉しいな。」
ママ友たちは、そのお願いを快く受け入れてくれて、娘と接してくれました。
おかげで、娘もすごく楽だったと思うんです。いつも一緒に遊んでいるお友達も、何も変わらずに接してくれました。
娘の吃音の度合いは、出始めからなだらかなカーブを描き上昇し、まだ同じカーブを描きつつ下降していき、小学校入学前にはほぼ消滅していました。
気付いたら、「そういえば、もうすっかり出ないよね。」という感じでした。
息子は今、小3ですが、まだまだ消滅とは言えない状態です。
娘の時と同じく、家の中では、息子の言葉を先取りせず、補完せずを心がけてきました。
息子は、吃音がありながらも、おしゃべりをたくさんします。
本人は、吃音を全く気にしていないわけではなく、それはやっぱり「人と違う」し、「時に困る場面がある」し、気にしています。
ただ、まだ幼いことが幸いしているのか、「気にしてしゃべれない」ところまでは行っていないようです。
音に詰まったり、音を繰り返したりしても「伝えたい」、またはお友達と「遊びたい」気持ちが今は大きいのかなと思います。
私も、吃音があったので、「どうすれば言葉が出やすくなるか」を自分なりに研究していました。
それを息子に教えたりもしました。
たとえば…
・発語するその瞬間に、動作を伴わせると、音が出やすくなることを見つけました。ただし、あまり大きな動作はからかいの原因になりかねないので、なるべく目立たないように。
・歌っているときにはどもらないことから、歌うように、話してみる。ただし、これもからかいには注意が必要です。
・自分の話しやすい音から話し出す。たとえば、「ん~」とか。
・力を抜いて、音を出す。これは説明が難しいのですが、ノドではなく口先だけで軽く音を出す感じ。
と、書いてみましたが、毎日こんなことを息子と話しているわけではありません。
吃音のことに触れるのは、1か月のうちに、多くて3分くらいです。
まったく触れない数か月もあります。
普段は、娘のときと同様、先取りせず、補完せず、息子の話を聞いているだけです。
息子の話はいつも面白くて、日々笑わせてもらっています。面白い話が色々あるので、それはまた別に書きたいなと思います。
思い出しました。息子が、吃音があることで悲しい気持ちになっているときに、ちょっと真面目に、息子に話したことがあります。
これは、「吃音の世界」という本からの受け売りだったか、自分の考えだったのか、今では分からなくなってしまったのですが…。この本は、息子の吃音が出始めたときに、勉強のために購入して読みました。
著者自身が吃音に悩み、吃音を治したいと医者になり、吃音の研究、臨床をされていらっしゃいます。とても参考になった良書ですので、最後の項で紹介しますね。
「足が速い子もいれば、遅い子もいるでしょ。背の大きい子もいれば、小さい子もいるよね。どもっちゃう子もいていいんだよ。みんなそれぞれ違う色んな特徴があるでしょ。だからどもっちゃっても別にいいんだよ。」
本当に、いろんな子がいて、いろんな特徴があり、吃音も数ある特徴のなかの一つに過ぎない、だから悲しくなったり後ろ向きになる必要はなく、どもってもいいからお話していいんだよ、ということを伝えました。
息子に対しては、とにかく吃音を後ろめたくとらえずに、気にせずにどんどんしゃべってよし、と伝え続けました。
そう伝えながらも、吃音を真似されたり、からかわれたりする可能性はあり、それらに対する親ができることとして、対策も講じました。
担任の先生にお願いしたこと
小学校の先生のなかにも、吃音のことをほぼ知らない先生もいらっしゃいます。
息子が小1のときの担任の先生がそうでした。
通知表のコメント欄に、「話をするときに、言葉がつまる様子が見られます。焦らず、息継ぎの時間を長くとってゆっくり話すことで、滑らかに話ができるように支援していきたいと思います。」と書いてくださったのですが…。
それを見て、私が思ったのは、「先生、支援とは具体的にどのようなことでしょうか」ということです。
面談のときに、直接お話しました。
私から、息子は「吃音」があること、親としては専門の場所で訓練などをさせる方向ではなく、今は見守っている段階であること。
なるべく学校でも息子の吃音を「治す・直す」とは考えていただきたくないこと、言葉を言い直させたり、先取りして言ってくれたりなども必要ないこと。
授業中にあてられた時、本当は答えが分かっているけれど、言葉が出ないことがあること。
言葉がでないと、「答えが分からない」と思われたり、友達に笑われたりして、本人はつらい気持ちになることがあること。
言葉が出たとしても、詰まったりして、笑われたり真似されたりすると、悲しい気持ちになること。
先生には、一つだけお願いをしました。
お友達が、息子の話し方や話せない状況を面白がったり、からかったりした時には、先生から断固として「それはしないこと」と子どもたちに教えてほしいということです。
からかわれたり、笑われることによって、子どもは悲しい気持ちになります。
そうすると、積極的な学校生活への参加が阻まれていきます。
先生に、吃音に関する知ってほしいことをまとめたシートをお渡しし、ご協力をお願いしました。
私が先生にしてほしい「支援」とは、その一点のみでした。
吃音がある子どもの授業参観
息子が小2の時の授業参観日が近づいてきたある日、息子がポロっと言いました。
「グループで発表なんだけど、一人ずつ話す場面があるから…」
とても心配そうにしていました。
小2でクラス替えがあり、担任の先生も新しい先生です。
一度、面談をして、1年生のときの担任の先生にお伝えしたことと同じ内容は伝えてあります。
私は、「大丈夫だよ~、どもってもいいんだよ、がんばって!」と励ましていたのですが、参観日前日に、息子の様子が明らかに暗くなり、いつもはにこにこ笑顔でたくさんおしゃべりをしてくれるのに、うわの空の様子です。
息子が寝るときに、布団に入ってお話しました。
息子は泣いていました。
「いやだなぁ…」と。
私は、やはり「人前で発表」となると、プレッシャーが半端じゃないことを思い知りました。
でも今まで言い続けていたこと、「大丈夫、大丈夫。どもってもいいんだよ」という言葉をかけることしかできません。
でもそれが息子の気持ちを軽くすることはありませんでした。
泣いている息子をただ抱きしめるだけで、明日という日が来るのを待つしかありませんでした。
さて、ついに当日が来ました。
そこで、思い出しました。臨床心理士になった大学時代の友達がいることを。その友達に、ラインで助けを求めました。
息子の話すパートをなくしてもらうことは先生に言えばできそうだけど、それが果たして息子にとっていいことなのか。今回はそれで済んでも、次回の授業参観が来たらよりプレッシャーがましそう。逃げるべきじゃないのか、逃げられるときには逃げてもいいのか、ということを相談しました。
彼のお返事としては、
・「本人が口頭で発表してみたいのかどうかが一番大事だから、まずそこを確認。」
①事前準備
発表したくない場合は、代案(発表の内容を大きく書いたものをみせる、書いたものを代読してもらう手続きをしておくなど)を考える。もし口頭でしたくなったとしても、準備しておけば安心できる。
②当日
やれるならそのまま自分で口頭で発表する。難しくなったときのための「ヘルプサイン」を決めておいて、お友達に代読してもらう。
というものでした。
なんていう名案なのでしょう。さすが、お仕事として日々子どもたちに関わっているからこそ思いつく名案だと感動しました。
息子に、口頭で発表してみたいのか聞いてみると、「やってみたい。」との答え。
そこですぐに学校に電話をして、授業参観当日のお忙しいときに申し訳ないのですがと前置きしつつ、息子は発表はしたいが怖い気持ちがあり、もし本番で無理そうだったら、グループのお友達にお願いして、代読してもらうサインを決めてほしい旨をお願いしました。
先生が快諾してくださったことを息子に伝えると、みるみる息子の表情が変わり、ぱぁ~っと明るくなりました。
「できると思ったら、そのままがんばって!無理と思ったら、サインを出してね。」と話し、見送りました。
私もこの対策で、心から安堵しましたし、息子にいたっては、セイフティネットができて、それは安心したと思います。
そして、ドキドキしながらの本番です。
廊下で息子が寄ってきたので、「どう?サイン決まった?」と聞くと、
「うん! 無理って思ったら、〇〇くんの背中をトントンするの。そうしたら、〇〇くんが代わりに読んでくれるって。」と嬉しそうに教えてくれました。
授業参観日独特の、子どもたちの高揚感が息子からも感じられます。
「よかったね!」と言い、提案してくれた臨床心理士の友達、そして当日朝の急なお願いにもかかわらず迅速に対応してくださった先生、そして代読を引き受けてくれたお友達に心から感謝です。
ついに、息子のグループの順番がきました。
「お店探検」というテーマで、コンビニに行って取材した内容の発表です。
お友達が、写真や画用紙に書いたまとめを読みながら、自分のパートをこなしていきます。
息子の番がきました。ちょっと恥ずかしそう。どうなるかな?と思っている間もなく、息子は話し出したのです!
自分でやることにしたんだ!
すごいね!!
息子は、途中一度だけ、最初の音が出なくて間が開くことはあったけど、その他はすらすらと画用紙に書かれた文字を読んだり、写真を指し示したりしながら、あっという間に発表を終えました。
グループみんなで礼をして、自分の席に戻った息子と目が合い、笑いあいました。思わず、私は小さくガッツポーズをしちゃいました。
その日の授業参観が終わった後、先生とお友達それぞれに、お礼を言いました。
先生は、「ぜんぜん大丈夫でしたね!これでまた自信になったと思いますよ。」と仰ってくださり、お友達とお友達のお母さんは、「こんなの大したことじゃないよ」と言わんばかりに、笑ってくれました。
この経験が、確実に息子の自信を養ったと思います。
あれから何度か授業参観がありましたが、この時以来、息子の様子がおかしくなったり、心配することは一切なくなりました。
息子が「できた」のは、「もし無理なときの代案がある」という安心感があったからだなと思います。
やっても、やらなくてもどっちでも大丈夫となったら、「やる方」を選びやすくなるんだなって思います。
吃音のお子様の授業参観対策、先生やお友達の協力が必要ですが、可能であればぜひ試してみてほしいです。
「吃音の世界」菊池 良和著
もし、もっと吃音の歴史や吃音の今を知りたいと思われるかたがいらっしゃいましたら、この本をおすすめします。Amazonのレビューもたくさん付いており、星4.7と高評価です。
この本はとても読みやすく広範な内容で吃音に携わる人はもちろん、一般の方にも是非に読んで欲しい内容で構成されています。
文中に、菊池先生が吃音の子どもたちに言っている言葉が出てきます。
それは、「選ばれし天才の宿命」という言葉です。
この言葉で、息子は救われました。
吃音は、「頭の回転が速くて、言葉がそれに追いつかないから」という仮説に基づいているのですが、それが事実なのかそうでないのか、吃音の原因が解明されていない現在は不明です。
それでも悩める子どものいっときの明るい光となりました。その言葉を知ってからしばらくの間は、たびたび「選ばれし天才の宿命」と自らに言って、自分を奮い立たせていた様子でした。
また、この本は実用的でもあります。
「あとがき」に、菊池先生のメールアドレスが掲載されており、吃音の息子のことをメールをしたら、翌日に先生向け啓発用の資料をメールで送って下さいました。
記事内で、先生にお渡しした資料とは、このことです。吃音があるご家族をお持ちの方には、活用いただけるかと思います。
どうか、吃音がある人たちが、少しでもリラックスして過ごせる世界になっていきますように。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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